英国で教育しよう!次男の巻:プレップスクール その1
次男の巻:プレップスクール その1 9才で日本に帰った次男は日本の小学校4年生の2学期から近所の公立の小学校に入った。ロンドンでは小学1年生から毎週土曜日に通った補習校で日本語は学んでいたし、家庭では日本語で話していたので、言葉の問題はそれほどなかったようだ。また、日本に帰る度にその公立の小学校に1,2週間通わせてもらっていたので、友達が何人か既に出来ていたので、その面でも学校生活に支障はないようだった。日本で中学受験をさせようと思い、合格率の高いことで有名な中学受験の進学塾の入学試験を受けたら不合格になり、塾にも入れないことがあるのかと思ってショックだったのを覚えている。 普通は日本に帰ってからの受験に備えてロンドンにもある日本の塾に通っている子もいるのに何の準備もしていなかったのだから親が勉強不足だった。日本に帰国する事を考えたらロンドンにいる間に日本の塾に通わせるべきだったのかもしれない。とにかくそこは落ちてしまったので、隣駅にあった全国展開をしている中学受験のための塾を訪ねてみた。するとそこは入学試験なしに入ることができるらしい。授業はどんな様子なのか私がひと晩見学に行ってみた。和気藹々として楽しそうだし、先生も良さそうなので通わせることにしたが、二重に学校に通っているようで、何だか時間の無駄のような気がした。英国の教育システムでは塾という概念がない。受験に関しては私立に通っている場合は「長男の巻」で書いたように学校がすべての面倒を見てくれる。それでも足りないと思われる場合家庭教師をつけることはあっても日本のように一年中通うような塾はない。GCSE(受験時は15歳―16歳)やAレベルの受験(受験時は17-18歳)の頃にはで短期的に春休みにある春季集中コースのようなものはあるが、やはり一年中通うような塾はない。小学校に朝8時過ぎから3時過ぎまで通い、帰ってきてからお弁当を持って夜9時過ぎまで塾に通わせるのは酷な気がした。 それでも日本で中学受験に備えるにはそれが一般的のようだったので、やむを得ず通わせることにした。漢字の練習や、歴史の暗記など朝早く一緒に起きて勉強してテストしたりしていたが、成績は思ったようには上がっていかなかった。今から考えてみたら「小野妹子」とか「中大兄皇子」とか現代日本語にはない読み方がある歴史の人物などを、しかもただでさえも読みなれない日本語で覚えるのは、次男には大儀だったのかもしれない。それでも本人は中学受験しようと思って塾に通い続けていた。楽しそうでもなかったが文句も言わずに通っていた。ただ疲れている感じはした。そうして1年半経ってやっと生活に慣れてきた頃、再び父親がロンドン転勤になった。学校でも仲の良い友人ができてきていたので残念な気もしたが、次男はロンドンに行くのを嫌がらなかった。私は1人でロンドンに残っていた長男の方が気になっていたので、ロンドンに戻るのは天からの助けだと思った。長男の成績と素行が極端に悪くなっていたからだ。考えてみれば次男は常に長男に目の行く親の元で育てられていた為、知らず知らずの間に独立独歩で誰のいうことも聞かない性格に育ってきたような気がする。
さて、ロンドンに戻ってきてからの次男の学校は5才から9才まで通いなれたノース・ブリッジ・ハウス以外に選択肢は頭の中になかった。学費はかかるが、次男の友人がいたし、長男も13才まで通ったので学校の仕組みがよくわかっていたからだ。先にロンドンに渡った父親にノースブリッジハウスの校長に会いに行ってもらい復学を希望した。日本に帰国していた2年の間に校長がミスターBという方に変わっていた。ミスターBは夫に言った。「アッパー・プレップスクールでは成績順にクラスが2つに分かれています。U 君は二年間のギャップがあり、英語も忘れているかもしれないので、下のクラスに入った方が本人が楽ではないでしょうか?」夫は私に「校長先生がそうおっしゃっているけれどもそれでいいかな。」と聞いてきた。私は上から下に下がるのは簡単でも下から上のクラスに上がるのは難しいと分かっていたし、長男と同じようにセントポールに入れたかったので上のクラスに入れてもらうように夫に言った。それと同時に我が家の事も長男の事もよくわかっていて下さる副校長先生のミセスMに電話して上のクラスから試させてもらいたい旨を伝えた。ミセスMはすぐに事情を理解し、「そうですね。わかりました。そうしましょう。」とおっしゃって下さった。
フランス語とラテン語は全く2年間勉強していなかったので追いつくために家庭教師をつけることにした。そうして日本での受験勉強に代わってロンドンでの受験が始まった。 ←前の記事 | 次の記事→ *学校区分の日英比較は大体下記のとおり。(英国日本婦人会発行『ロンドン暮らしのハンドブック』2017年5-8改訂版p。35参照) Miho Uchida/内田美穂 聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。
次男の巻:プレップスクール その1 9才で日本に帰った次男は日本の小学校4年生の2学期から近所の公立の小学校に入った。ロンドンでは小学1年生から毎週土曜日に通った補習校で日本語は学んでいたし、家庭では日本語で話していたので、言葉の問題はそれほどなかったようだ。また、日本に帰...