ただ「自分」として生きてみる



生き飄々(ひょうひょう)

よく人から「あなたは『ひょうひょう』とした生き方をしている」と言われることがある。

そもそも「飄々、ひょうひょう」とはどう意味があるのか。


ネットで検索すると、

「性格や考え方などが世間と異なり、とらえどころがないこと」

「風が吹く音、かぜにひるがえるさま」

「ふらふらとさまよっている様子」

とある。


なるほど。


なんとなく自分に当てはまっているように思える。

小さい頃からどことなく周りとは異質で、別に特別なにか違うことを目立ってやっているわけでもないのに、周りの「輪」に入れず、いつの間にか孤立して、普通に生活しているだけなのに息苦しさを感じていた。


「ただ集団行動が苦手なわがままな性格のかもしれない」

そう思ったことも何度もあった。でも単に自分の気持ちや考えにバカ正直なだけなんだと最近は思う。(今更ながら)


中学、高校生くらいになると、すでに他人の顔色を見て、自分の言動を決め、他人から「変わったヤツだ」という風にみられないように身を守る手段も習得する。でもそんな心身に悪そうなことを長年やっているから、徐々に歪みが出てきて、最終的に本来の自分がなんなのか分からなくなってしまうー自分が壊れてしまうのではないか。


だからといって、今の社会はそんな生き方を許さない。個人が豊かで健康な生活を送るよりも、勤めている会社の繁栄や、上司の機嫌が優先されてしまう。


自分の人生なのに、誰のために自分は生きているのだろうか。自分らしく生きるとか、ちまたで言われているが、社会全体が生きにくい環境なら個人ではどうにもならないことなのではないか。


「自分らしく生きる」といっても、あくまでも社会の一員として自分の人生に責任を持って生きることで、社会や家族や他人に対して迷惑を掛けたり、犯罪を犯していいということでは決してない。


これから私が今、飄々と生きているようになったかを少しずつ振り返りながら綴っていくことにしよう。

つづく

著者:気ままに生きているようで、かなり計画性を持って無駄なく真面目に生きていると思われるアラフィフ海外在住者。