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連載小説:Every Story is a Love Story 第2話(Only Japanese)

れいの場合 Spring - Autunm again

12月に入り、また先生が変わる時期になった。3月に帰国予定だった私はもうリチャードから教わることはないのだろうなと思っていたし、そのことにどこか寂しさも感じていた。だがさして大きくもない同じ建物の中にいれば、しょっちゅう顔を合わせる。以前は廊下で会っても挨拶だけだったものが、この頃から少し立ち話をするようになっていった。一言だけど、「あの映画みた?」とか「今度こんなイベントあるらしいよ」とか、少しだけでも話す時間を持つようになっていった。お互いを見かけたらどちらからともなく近づいていき、ほんの一瞬だけどたわいもないことを話す。それは私にとって日々の大切なひと時だった。  そして年明け、学校のシステム変更に伴い、なんとリチャードが私の先生として戻ってきてくれた。 彼は私の最初の先生であり、最後の先生にもなってくれたのだ。

 最後の2ヶ月も私たちは相変わらず仲がよかった。むしろ会話自体は少し減り、もはや言わなくても解っているという雰囲気が二人の間には漂っていた。授業が始まる前の彼の表情を見れば、昨日彼が観た映画が面白かったかつまらなかったのかが分かったし、リチャードもリチャードで私が舞台の感想を言う前に大体の想像がついており、ほぼそれは当たっていた。私たちは無意識にそこまで分かりあえるほど近づいたのだ。だからこそ予想外にリチャードが一歩”ライン”を越えてきたとき、とても動揺したけれど、同時に自分の気持ちに気づけたのかもしれない。

 もう帰国まで3週間、学校が終わるまでは2週間も切ったある日、少し早めに学校についた私は、誰もいない小さな教室で一人、演劇のチケットを検索していた。そのとき、授業が始まるまで20分近くもあるというのに彼がひょっこりと教室に入ってきた。

「何してるんだいレイ?」 「めずらしくちょっと早く着いちゃったから、今夜のチケット何か安いのないかなって探し始めたところ。リチャードこそどうしたの?」 「レイが見えたから来たんだ。ねぇいつが学校の最終日?もうすぐだろ?」 「来週の金曜。そうだリチャード、来週も私の先生だよね?」 「もちろんそうだよ。もう来週なのか・・・レイ、帰っちゃだめだよ。君は誰よりもロンドンに居るべき人だ。」 「リチャードもそう思う?私も自分のことそう思ってる。でもどうしたらいい?ビザ切れちゃうもん、不法滞在はいや。」 「あぁでもレイ、帰っちゃだめだよ絶対だめだ。寂しすぎる、耐えられない、俺泣いちゃうよ、最終日。」 「わたしだって泣いちゃうから、お願いそんなこと言わないで。」 「でも、俺はやっぱりレイはロンドンに居るべき人だと思うんだ。本当に心からそう思うよ」 「じゃあ方法考えて?」 「…結婚」 「私の結婚相手にふさわしいナイスなイギリス人男性、知ってる?」 「そもそもナイスなイギリス人なんて存在しない。」 「質問した瞬間、リチャードはそう答える気がしたの。でも良かった。実はね、来週もあなたが先生じゃなかったら、上に掛け合ってでもあなたに教えてもらおうと思ってたのよ。」 「上にケンカ売ってるレイは、それは見物だったろうね。みんなはレイのことは穏やかなジャパニーズガールだと思ってるからびっくりするだろうな、本当は穏やかなんかじゃない、すごく情熱的な人間なのに。なによりレイがそんなこと思っていたなんて知らなかった、うれしいよ、ありがとう。」

 ほんの短い間だったが、私たちは初めて”ライン”を踏み越えた。キッカケはリチャードからだったが、お互いがお互いのラインを踏み越えて、確実に一歩奥に進んだのだ。そんな時間を二人で共有できたことが、純粋な喜びだった。  そのあとの授業を傍からみたら、わたし達二人の様子は特に何も変わっていないように見えただろう。しかし二人の間には確実にアイコンタクトが増え、目が合うたびに小さな微笑みを送りあった。いつもとやっていることは何も変わらないけれど、ただ楽しくて楽しくて仕方がない授業だった。  その日、授業が終わるまではとても満たされた気持ちだったのに、学校を出た瞬間、どうしようもない無い寂しさと悲しさに襲われた。いつもなら学校が終わったあと劇場に直行するが、それこそリチャードと話していたから今日の分のチケットはない。でも、どうしても家に帰る気にはなれず、ふらふらとカフェに入った。そして日本にいるスミレに短いメッセージを送った。

-ねぇスーちゃん。わたしリチャードのこと好きかもしれない。

時差があるはずなのに、スミレはすぐに電話をくれた。そしてひとしきり私の話を聞いてくれた。 「レイちゃんとリチャードは本当に仲良かったし、お互い信頼している感じはずっとしていたよ。でもレイちゃん、レイちゃん自身はもうすぐ帰国だし、リチャードには彼女がいるのも分かっているよね。」 「もうなにが何だかよく分からないんだけど、それだけは切実に分かってる。」 「そう。そこが分かってるなら、レイちゃんが望むままにすればいいと思うよ。もう、大人だしね。」 「ありがとう、スーちゃん。」 「いつ、どこで、誰を好きになるかなんて、誰よりも本人が一番予想できないのかもね。実は周りの方が本人たちよりも先に気づいてることも多いし。なんかレイちゃんにとっては今の気持ちは予想外でも、私は案外すんなりと納得しちゃった。だって本当にレイちゃんとリチャードは、一緒にいるとお互いよく笑っていたから。」 「そういう風に見えてたんだね、私たち。でもやっぱり衝撃的だわー。」 「そりゃそうだよね、私だって納得はしたけど、それでもやっぱり驚きだもん。あとごめん、ここにきて言うのもアレなんだけど・・・。でも言わせて、ねぇレイちゃん、あの変人リチャードでいいの?」

 スーちゃんの苦笑いは私を元気にした。

学校最終日。リチャードはいつもよりずっと、ハイで饒舌だった。 「レイ!今日は君にとってのエピックデイだね」 そうだね、と笑顔を向けるのが精一杯だった。リチャードがハイなときは何か自分の気持ちを隠しているときだという事も、彼は彼なりに何かを感じていることも分かっていた。私の方はリチャードに対して、とても近くにいながらとても遠くにいるような、そんな感覚から逃れられなかった。ここ数日、あえてリチャードは私の横に座ったり、苗字で私のことを呼んでみたり、私も私でふざけて先生と日本語で呼んだりして、いつも以上にふざけていた。そんな風にふざければふざけるほど、お互い何か話さなければいけないことがあるのに、あえてそれを遠ざけている気がしてならなかった。  最後の授業がいよいよ終わり、クラスメイト達と別れの挨拶をしていると、リチャードがそそくさと逃げるように教室から出て行こうとしているのが見えた。

「リチャード!」 「レイ、分かっているだろ。別れが苦手なんだ。」 「...待ってなさい。」  分かったよ、と言いながら教室の隅っこで大人しく待っているリチャードの姿はなんだか滑稽でかわいらしかった。

「…ありがとう。リチャード」 「俺のほうもだよ、ありがとう。すぐ帰国?」 「あと1週間いるよ。私でしょ?私が何して過ごすか。」 「劇場に行くんだね。楽しんで。気をつけて帰国するんだよ。」

ハグをしたあとお互いに目を合わせられないまま、リチャードは教室を出て行った。あまりにも苦し過ぎて、でもどうすることもできない学校最終日だった。

 それからの一週間、それはもうおかしくなった様に劇場に通いまくった。昼も夜も劇場に行き、舞台と舞台の間には映画を見に行ったりして、学校の近くには決して近寄らなかった。それでも、街中のふとしたものが目に入るたびに、リチャードとの会話が勝手に脳内で再生されてしまう。あの映画はリチャードが面白いって言ってたな、リチャードが安くておいしいって言ってたレストランってここにあったんだ、この曲二人で貶しまくったな、とか。そんな愛おしい小さな思い出たちは、客席から離れた瞬間、とめどなく溢れ始める。だから学校が終わってから帰国するまでの1週間、食事もロクにとらず、ひたすら客席に座り続けた。  帰国する前夜、私はリチャードに会いに行く決意をした。もう客席に逃げられないのだし、帰国することも変えられない。それならば、そのとき感じたことをリチャードに伝えればいい。そう心に決めたらやっと安心したのか、久しぶりに深く眠ることができた。  帰国日の朝、私はとても冷静だった。会う約束はしてなかったけれど会えるのは分かっていたし、もうすべてを流れに身をまかせる覚悟ができていたからだろう。荷物を先にヒースロー空港に預けて1週間ぶりにブルームズベリの学校に向かった。  ちょうど昼休み直前に学校に着き、あえて外で待っていた。リチャードのことだからタバコを吸いに出てくるだろうと思って。彼を待っている間、去年の4月に初めて学校に来た日のことをぼんやりと思い出していた。同じようにしか見えない繋がっている白い建物たちに一つ一つドアがある。そしてそのいくつものドアを開けたその先に、それぞれいろんな世界がある。私はこのドアを開けて本当に良かった、そんなことを考えていた。  昼休みに入るとぞくぞくと生徒たちが外に出てきて、その中にはもちろん顔なじみのクラスメイトたちがいた。何人かと話をしていたとき、ふとある気配を感じた。リチャードが出てきたのが見えなくても分かった。クラスメイトたちと最後のハグをしたあと、人気のない場所に一人いるリチャードのところへ向かった。  リチャードは少し離れた別の建物の入り口で予想通りタバコを吸っていた。私に気づいた瞬間、レイー!!!!!と駆け寄ってきた。タバコ危ないだろっと思いつつ、思いっきりハグされ、それだけでもう何かが満たされてしまった。

「I missed you so much」 「Missed you too Raye」

どのくらい抱き合っていたか分からないけれど、その間に交わした言葉はこれだけである。  長いハグのあと何を言うわけでもなく、二人並んで壁にもたれていた。私がぼそっと、もう毎日会えなくなるなんてとんでもなく寂しいね、と思わずつぶやいた。リチャードは2本目のタバコを咥えつつ、遠くを見ながら、そんな関係を築けたってことが素晴らしいんじゃないかな、と返してくれた。  昼休みが終わりに近づき、空港に向かわなければならない時間も迫っていた。何を言うわけでもなく、また私たちはハグをした。一度離れたときにお互いを見つめあい、そして一瞬の間があった。そしてもう一度彼とハグをすることを選んだ。それしか選べなかったから。それがそのときの私の精一杯だったから。だからこそ彼を忘れないように強く抱きしめた。その間、最後の選択をわたしに与えてくれたリチャード独特の優しさを噛みしめていた。

「気をつけて帰るんだよレイ、連絡を取り合おう」 「そうだね。ありがとう」

 離れたあと少し見つめあった私たちは、どちらからともなく学校の入り口のほうへ歩き出した。機内のアルコールはタダなの?よし、飲みまくるんだ、酔っ払って帰れ!と笑いながら言ってきたリチャードは、最後まで相変わらずリチャードだった。心の中でそんな彼を好きになってよかったと、なにより最後までふたりで笑いあえたことにそっと感謝しながら私とリチャードは笑顔で別れを告げた。

これがわたしとリチャードの、最初の物語である。

つづく

原田明奈

千葉県出身アラサー女子

今作が小説家デビュー、前職はお皿洗いからパラリーガルまで幅広い。いろんなことにとりあえず首を突っ込んでみるチャレンジャー。

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