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ロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)の『ローエングリン』

'Lohengrin' at the Royal Opera House

ロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)の『ローエングリン』

ポール・ステインバーグのデザインした舞台セット

(C) ROH. Photo by Clive Barda

ワーグナーの『ローエングリン』は楽劇『ニーベルングの指輪』4部作直前に作られた最後のロマンティック・オペラで、騎士の武勇、女性の純潔、民衆による愛国心というドイツ中世社会の典型的なテーマを描いたオペラだ。『ローエングリン』といっても‘ぴん’と来ない人が多いと思うが第三幕で奏でられる「婚礼の合唱」(「ワーグナーの結婚行進曲」)を聴いたことのない日本人はいないに違いない。遠い昔になるが、私が自分の結婚式で父とヴァージンロードを歩いた時にもこの曲が確か流れたと思う。更にはクラシックのコンサートなどで独立してよく演奏される「第一幕への前奏曲」も聴いたことのある人が多いかもしれない。ヒットラーを描いたチャップリンの映画、『独裁者』のラストシーン、及び地球儀のシーンのバックグラウンドに流れるこの曲は聖杯を象徴する弦楽器の音色が特徴で、静かに流れゆく青銀色の水を思い起こさせるようなロマンティックな曲想だ。『ローエングリン』のオーケストラはワーグナーの革新的創作力によって弦楽器が聖杯の、管楽器がエルザの、そして金管楽器がハインリヒ王のムードやキャラクターを音色で表現しており、その技術は『ニーベルングの指輪』にもつながって生かされている。

さて、今回のプロダクションは政治色を強く出すことで有名なデイヴィッド・アルデンによる演出だが、ROHにおいては41年ぶりの作品だ。元々のオペラの時代と場所の設定は10世紀のベルギーであるが、アルデンは20世紀半ばの中央ヨーロッパに位置する戦争で荒廃した国という設定に変えている。オペラの終盤に近づくとその国がナチズムのような全体主義に支配される危機に瀕している様子が浮き彫りになる。白鳥のシンボルの入った勝利の旗が並ぶ様子はナチのスワスティカを思い起こさせ、現在ドイツで高まりつつあるナショナリズムへの警笛を鳴らす意図があるのかもしれない。

この日出色の出来だったのはエルザ役のジェニファー・デイヴィスであったが、実は彼女は大スター、オポライスのピンチヒッターとしての起用であった。がっかりしていた観客の多い中、デイヴィスは銀鈴をふるような美声で第一幕から好調にスタートし、舞台上での存在感といい演技力といい最終幕まで観客の注意をそらすことはなかった。と同時に新たなスターの誕生を確信させた。ローエングリン役で名高いクラウス・フロリアン・フォークトは少年合唱団のような甲高く神秘的な歌声でタイトルロールを演じた。私の好みではなかったが俗世から離れた「白鳥の騎士」らしいという解釈も出来た。オルトルートを歌ったクリスティン・ゴークは悪役の憎憎しさといい凄みといい夫のテルラムント伯爵を焚きつけるシーンやエルザをそそのかすシーンなど歌も演技も迫力があった。オルトルートとエルザの性格や衣装の対比も印象的だった。とはいえ、この日私が最も惹き付けられたのは鬼才アンドリス・ネルソンズの指揮であった。彼の音楽に対する解釈をバトンに載せる才能は非凡であり、私はかなりの長い間舞台ではなく彼の指揮に見とれていた。

9月にはROHでワーグナーの『ニーベルングの指輪』4部作が上演される。『ローエングリン』でワーグナー音楽に酔いしれた私は音楽的に更にドラマティックで重厚なリングの鑑賞を今から楽しみにしている。

ローエングリン役のクラウス・フロリアン・フォークトとテルラムント伯爵役のトーマス・J.メイヤー

(C) ROH. Photo by Clive Barda

ローエングリン役のクラウス・フロリアン・フォークトとエルザ役のジェニファー・デイヴィス

(C) ROH. Photo by Clive Barda

エルザ役のジェニファー・デイヴィスとオルトルート役のクリスティン・ゴーク

(C) ROH. Photo by Clive Barda

第三幕プロダクションイメージ (C) ROH. Photo by Clive Barda

Miho Uchida/内田美穂

聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。

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