若手舞台美術家、池宮城直美 〜プロへの道〜 (前編)

06.07.2018

先月は世界で活躍、日本を代表するベテラン舞台美術家をインタビューしたが、今回はまだ若手で、最近独立したばかりの舞台美術家のこれまでの道のりを語ってもらった。

 

 池宮城直美 舞台美術家 https://naomi-ikemiyagi.wixsite.com/stage-design

1984年栃木県生まれ。
武蔵野美術大学 空間演出デザイン学科卒業後、演出部を経て2009年より舞台美術家 二村周作に師事。2013年独立、幅広いパフォーマンスに舞台美術家として参加。文化庁 平成28年度新進芸術家海外研修制度にてイギリス、ロンドン芸術大学セントラル セント マー チンズ校、他で1年間研修を行う。
最近は「GANTZ:L」演出: 鈴木勝秀 銀河劇場「Were born」演出: 伊藤靖朗 Nora Hair Salon 等に舞台美術家として、オペラ「ワルキューレ」「魔笛」に舞台美術助手として参加。

 

 

 

J: 簡単な自己紹介からお願いします。 

池: 舞台美術家の池宮城直美です。34歳です。業界入って12年、裏方のスタッフとして2年、その後、美術助手として6年、独立して今4年です。

 

J: 今でずっとフリーランスということですか? 

池: はい、今まで所属したことはありません。個人事業主です。

 

J: 舞台美術家になったきっかけは?

池: 高校生1年生の頃に舞台美術をやろうと決めたんです。元々バレエとか新体操とかを見るのが好きで「美しいもの」に興味を持っていました。小学校でバレエを習っていたんですが、踊る方はあまりよくなくて…2年ぐらいで辞めましたが、以降も好きでした。初めて1人でバレエの公演(ボリショイ・バレエ団)のドン・キホーテの舞台を観に行った時、風車の大道具がグワーってダイナミックに動いた瞬間に「これを職業にしよう」と決めたんです。その頃好きだった建築や絵画も応用できそうだし、これだっ!て感じでした。次の日、高校の美術の先生に「私、舞台美術やりたいてです」って言ったら「こういう方法は?」と進学先を紹介くれて、武蔵野美術大学 空間演出デザイン学科を受験しました。最初の1年目は美術一般基礎と、パフォーマンス基礎を学びました。でも、もう2年目から飽きちゃって早稲田演劇の方で活動していました。

 

舞台美術家、池宮城直美氏のスケッチ

舞台芸術集団 地下空港 詩的・移動参加型演劇『Were Born / ワー・ボーン』

(C) J News UK, Photo: Chikako Osawa-Horowitz

 

 

 

J: 早稲田演劇の方にとは? 

池: そうそう、早稲田大学って、学生演劇が盛んなんですよ。劇場ワークショップに行ったときに早稲田が面白いっていうのを聞いて、「じゃ、行ってみよ!」と。早稲田大学の大隈講堂の裏の演劇っぽい部室の周辺で、最初に会った人のサークルに入部しました。「早大舞台美術研究会」です。で、そのまま小劇場で40本ぐらい舞台美術をデザインしました。

 

J: その時は早稲田大学に編入したのですか? 

池: いいえ、武蔵野美術大学に所属したままサークル活動だけ早稲田に行っていました。美大でも「劇団むさび」という演劇サークルに1年間だけ参加していました。早稲田演劇は自由で面白かったですね。今でも早稲田の友達とは続いてますし、同年代は業界入りした仲間が多かったので、仕事でもよく会います。意見交換したり、飲みにいったり。現場で会うとすごく嬉しい。貴重な存在です。

 

J: それで早稲田の演劇に入ってからは? 

池: 続けていくとどんどん人脈が広がってきて、プロの方と出会う機会が多くなって来たんです。そして繋がりから仕事を貰うようになりました。4年生の時には授業に出ずに、紅白歌合戦とか裏方スタッフをやってました。仕事はあったので就活はせず、卒業してフリーで演出部や大道具をやっていました。でもしばらくして、自分がやりたいのは舞台美術だけど、毎日やってることは大道具の転換とかで、夢と現実が違うので辻褄が合わなくなって辛くなっちゃったんです。裏方は兎に角毎日楽しいことが多かった!地方ツアー行ったり。(笑)仲間もいましたし、先輩もよかった、この業界でいいことは、大人が自由過ぎて面白いこと!本当に素晴らしい大人ばかりで!…。楽しかったんですが…でもやっぱり自分がやりたいのは、舞台美術なんだよなぁと思って、23歳の時に辞めました。2年間でしたけど、自分の適正とやりたいことが合わないなあと。裏方を続けても舞台美術家にはなれないから、変えるなら早い方がいい。舞台美術家になろうと思ってもアテはないんですけど、とりあえず辞めました。辞めることから始めました。(笑)

 

一人で黙々と作業中の舞台美術家、池宮城直美氏

舞台芸術集団 地下空港 詩的・移動参加型演劇『Were Born / ワー・ボーン』

(C) J News UK, Photo: Chikako Osawa-Horowitz

 

 

J: プロの舞台美術家になるのに、現場などで基礎となる技術等を身につけなければならないと思ういますが、それはどういうチャンスで? 

池: 話は飛ぶのですが…自暴自棄的に仕事を辞めて、ヨーロッパで2ヶ月間一人旅をしている時に、帰国の3週間前にバルセロナ駅でパスポート失くしてしまって…(苦笑) でもこのまま日本に帰らなくてもいいかって、逃げるのもありかなって思って、村上龍の「イビサ」みたいに。馬鹿な娘ですね(笑) 日本に親はいるけど、帰って特別会いたい人もいないし、予定もないし、でもバルセロナ湾の満月見ていたら「でもやっぱり帰ってちゃんと演劇やろう、まだやってなかったな」という気になりました。帰国後、プロの舞台美術家になるんだと腹をくくって、師匠となる舞台美術家を探し始めました。スタッフ時代の先輩に紹介してもらって、「私、舞台美術がやりたいです。勉強でヨーロッパ行って、こういうものを観てきて~」という話をしていく中でバックボーンが似ている人がいて、それが二村周作って後に、師匠になる人なんですけど。彼も武蔵野美術大学の同じ学科で同じサークル出身です。六本木の俳優座劇場で彼の舞台美術を手伝った時に、話す中でお互い共感するところがあって「じゃあ、僕のところで働く?」ということになりました。それでそのまま、いろいろあって、6年(笑)

 

J: 彼の下でずっとですか? 

池: そうです。アシスタントとして打ち合わせに同行して、どういうことを演出家が求めているのかを、聞き、実際に図面化し、模型を作って、お稽古で検証し、訂正し、劇場で立ち上げるという作業を6年間繰り返しました。師匠が現場に来ない時は、私が全部デザイナーの代行をしていました。最初は先生に言われた事をはい、はいってやっていたんですが、6年経ったら自分で仕切らないといけなくなってくる。師匠がアートダイレクターで、デザイナーは私、アシスタントも私。デザインも雑務もプレゼンで喋ること以外の下作業は、全部自分でやっていました。辛いことも多かったのですが、その代行作業で得た力が直接今に繋がっていると思います。

 

J: それだけ信頼されていたって事ですね?

池: 信頼されていたのか、うちの師匠が現場に来なかったからなのか、どっちか分かりません (爆笑)

 

J: 評価は良かったですか? 

池: そうですね。他のスタッフからは「どうせ(師匠)来ないから、お前がデザイナー(決定しろ)な」って言われてました (笑)

 

J: その時培った人脈や口コミで今の仕事の依頼がくるわけですね? 

池: その通りです。

 

J: 今までのなかで、辛かったと思う舞台美術の仕事は? 

池: 20代後半に現場の進行責任を一人で負わなければいけない時期があったんです。50代、60代の盤石な先輩デザイナーの中に混じって、一人ぼっち。他の部署はチーム作業だけど美術は若輩一人で大先輩に物言いに行かなきゃならない。大きな仕事を任せてもらえるのは嬉しいのですが、やっぱり大変で…千人、二千人入る大きい劇場だと装置も大きくなります。その面積を自分の指示で、大勢の先輩大道具さんに飾ってもらわなくてはならなくて…デザインはもちろん、演出家や舞台監督、照明家との話し合い、図面作業もするし、実際に現場で自分でも飾るし、色も塗るし。今は苦なくできますが、それが若いアシスタントには、精神的に何よりもしんどかった。しかし、それは日本のトップクラスの人たちの要望に答えられるっていう自信になったんです。私は二流でも、三流でもすらないんですけど!今度はデザイナーとして挑戦していくことになりますが…できるかどうかはこれからです(笑)。しかし過去にいくら辛いことがあっても過去ですから、過去にできたことにはもう興味ありません。いつでも「今この瞬間」が一番大変です!私の人生最大のイベントは過去にはなく、常に「今取り組んでいること」です。そして「次取り組むこと」が人生最大のピンチになる予定です。劇場って私にとって一番居心地のいい場所だし、どんな公演でも演劇のために働くっていいなあといつも思うので最終的にはそんなに辛くはないですね。

 

J: 今後の目標は? 

池: 今、アシスタントを抜けて、デザイナーに徐々になって行く過程にいるのですが、どういう美術家になりたいかというと…演出家と同じところに立って同じ目でものを見れる、話ができるデザイナーになりたいと思います。そして、その演出家の見ている夢みたいなもの、ぐちゃぐちゃした言語化されない、そういうのを視覚化できるような人になりたい。その視覚化っていうのは、形/舞台美術であるし、光かもしれないし、映像かもしれない、カテゴリーに関わりなく、演出家のイメージ/大きな何か/宇宙みたいなもの/世界を視覚化できるような力を備えたいと思います。

 

舞台美術家、池宮城直美氏

舞台芸術集団 地下空港 詩的・移動参加型演劇『Were Born / ワー・ボーン』

(C) J News UK, Photo: Chikako Osawa-Horowitz

 

 

J: 演出家一人一人違いますし、その持っているイメージも、出したい形なども全部違いますが、 それぞれの演出家の考えを視覚化するというのは具体的にどうやっているんですか? 

池: ちょっと変な話しますよ。不思議ちゃんだなって思わないで欲しいんですけと… あの~…, 海があるんですよね。

 

J: 海?

池: 演出家によって、その人が持ってる海の広さって違うんです。その人が海なのか、洋なのか、湾なのか、分かんないですけど、その人の世界っていう海みたいなものがあって、海ってほら、その海それぞれ特徴が 違うじゃないですか。アジアの海と北欧の海って、生物も違うし、地形も違うし、なんかそういう海みたいなものを彼ら一人一人が持っていて、それが「宇宙」と呼ぶ人もいるかもしれないですけど、私は「海」って思っています。その海のなかで…ずっとテキストを読んでいと…これ(持参して頂いた資料を見ながら)今回のテキストですが、演出家と話して、その人の雰囲気だとか、どういう言葉を選ぶ人なのかとか…そういう雰囲気、匂いみたいのとか…、一緒にテキストを読んでいくと、なんとなくこの人の好きなものが見えてくるんです。自分で用意した資料とかを見せながら、「これ、好きですよね?」っていうのをなんとなくマッピングして行くんです。地図を作る。そうすると、海に浮かぶブイ(浮き/目印)になっていく。

 

J: へー(一人感心) 

池: そのブイ(浮き/目印)を頼りに、何回でもその同じ地点に潜れるようにするんですよ。息を止めて、グって集中して、これ(資料を指しながら)こういう、これだ、これだっていう、ブイ(浮き)を頼りに。あと、その人特有のあったかい海とか、冷たい海とか、なんかピンクな人とか、いろいろあるんですよね。生えてる海藻とか、いる生物とか、そういうものを見極めながら、何回でも同じ竜宮城に行けるようにするんです。

 

J: そのスキルを大学で学んだんですか? 

池: いいえ、アシスタント時代に見つけました。

 

J: 自分で? 

池: はい。師匠のアシスタントをやってると、いろんなタイプの演出家がやってくるんです。 演出家の意見をずっと聞くんですよ、ラジオみたいに、ワァーって(笑)そうすると、この人の世界観みたいな形が、海の底の方にぼんやり見えたことがあって、なんかあった!、いま私、竜宮城見つけたっ!と。そのテキストによって生息地が変わる。だから同じ演出家でもテキストによって行く竜宮城は違って、その海の底で見えてきたものを、図面に起こして、立体化する、そして最終的に劇場で、やっぱりそうだったんだなって、これが私が見てきたこのテキストと演出家の海の底にあったものなんだなって。

 

後編に続く

 

 

動画はこちら↓

 

 

 

 

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