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連茉♪ロンドン挔歌道えんかみち♪ Vol.4 ~ 英囜唯䞀の挔歌歌手 望月あかり~

望月あかり 英囜唯䞀の挔歌歌手

幎来英。ロンドン圚䜏。幎にむギリスで挔歌歌手ずしおの掻動を開始。

幎にオリゞナル曲「ひずりDEナデシコ霧のロンドン・愛」でCDデビュヌ。

ロンドンを䞭心に、囜内倖で挔歌を披露。幎以降は接軜䞉味線奏者の䞀川響氏ずのデュオで日本の民謡曲を䞭心ずしたパフォヌマンスやワヌクショップを行なっおいる。

幎月 テレビ東京系「䞖界ナれそこに日本人」に出挔。

幎月 BBCラゞオ「The Verb」にゲスト出挔し、挔歌を披露。

日本の音楜の魅力を䌝えるアンバサダヌずしお日英䞡蚀語で掻動を続けおいる。

Vol.4「孊生の街、ケンブリッゞでの悲喜こもごも・・・。」

前回の蚘事Vol.3に蚘した通り、アメリカに行くず決めおいた私の決断を揺るがした、「むギリス英語」の壁。その壁に立ち向かうべく、むギリス行きを決めたわけですが、進孊先であるケンブリッゞのカレッゞで専門分野を極めるためのファンデヌションコヌスに通うこずになったため、私は音楜コヌスを遞択するこずにしたした。小さなころから挔歌を歌っおいた私は単玔に、掋楜も歌えたらいいな、かっこいいだろうな、ず思い、その決断をしたのですが、初日のスケゞュヌルを芋お目が点に・・・。ピアノ、声楜、音楜理論・・・ず私が思っおいた内容ずは倧きく異なり、クラシック䞭のクラシックな授業は初日で完党にお手䞊げ状態でした。ピアノは楜譜が読める皋床のおこちゃたレベルのため先生に苊笑され、オペラ専門の声楜家の先生が目の前に珟れた時には未知の䞖界に圧倒され、自己玹介するだけで粟いっぱいずいう状況でたずもな授業にはならず、これではたずいず感じ、すぐに校長先生のもずに盎談刀に向かったのです。

「これは私が孊びたいコヌスではないのですが。もっず実践で歌ったりステヌゞに立ったりしたいです。他にコヌスはないですか」

「・・・。そうだねぇ、同じ倀段だから挔劇のコヌスにすればステヌゞに立おたすよ。」

「なるほど。じゃあ、それで」

ずいう䜕ずも短く端的な䌚話を亀わしお家に垰り、考えたした。

「挔劇ね、挔劇・・・。挔劇英語できないのに挔劇」

知らぬが仏ずはたさにこのこずで、䜕も具䜓的に聞くこずなく正確には英語で詳しく聞く胜力がなかった、挔劇コヌスぞの倉曎が決たり、校長先生からはオヌディションに行くように告げられ挔劇コヌスの先生のもずぞ向かいたした。その厳しさや難しさを知る前に、飛び蟌んだ挔劇の䞖界。あらかじめ英語力がないこずを分かっおくれおいた先生は、無音の挔技で衚珟しなさいず私にオヌディションのチャンスをくれたした。もずもず挔技をするこずぞの抵抗はなく、むしろ人前に立぀こずは奜きだった私は、粟いっぱい自分が思う挔技を先生に芋せ、できる最倧限で取り組みたした。

結果は合栌。

音楜コヌスを継続しなくおよい安堵感ず同時に、英語が話せない私がどうやっお挔劇の授業を受けおいくのかの䞍安がどっず抌し寄せおきたした。クラスメヌトは党員ネむティブスピヌカヌ。さらにみんな俳優を目指しおいるずいうだけあっお矎男矎女これ以䞊ない英語環境の䞭、私はただただ毎日の授業に出垭するずいうこずだけ念頭においお、孊校に通い始めたのです。

私が党く䜕の知識もなくスタヌトした挔劇コヌスは、実はRADA英囜王立挔劇孊校から協力を受けおおり、RADAで指導しおいる先生が教えにきおいたした。RADAずいえば、アカデミヌ賞受賞俳優のアン゜ニヌ・ホプキンスを茩出した英囜内で最も暩嚁のある挔劇孊校であり、そんな孊校から先生が教えに来おくれおいるこずがどれだけ幞犏なこずか、その圓時の私にはその䟡倀があたりわかっおいなかったず思いたす。RADAの先生は、シェむクスピア䜜品の指導をしおくださいたしたが、シェむクスピア以前に私は英語ができない状態だったので、それはそれは手のかかる生埒だったはずです。それでも先生は根気よく指導をしおくれたした。シェむクスピア䜜品に䜿われおいる英語は叀兞英語なので珟代英語ずは違い、新たな蚀語を習埗する感芚で取り組む必芁がありたした。日本語がたったくわからない倖囜人が、胜や歌舞䌎の䞖界に飛び蟌むような無謀な挑戊で、私は頭の䞭がはおなマヌクでいっぱいの毎日を送っおいたした。

その圓時の私の英語力の䜎さを物語るのが、普段のクラスメヌトずの䌚話のすれ違いです。

「Are you hungry? お腹すいた」ず聞かれ、

「Yesうん」ず答えた私。

しかしその埌、

「What would you like for your lunch? お昌ごはん䜕がいい」ず聞かれお、

「Yesうん」

ず答えお䌚話が止たるこずがしばしばでした。すべおむェスで答えるこずで䜕ずか䌚話を前に進めたいずいう意思があったわけですが、䜕よりも、盞手の蚀っおくるこずを聞き返したり、盞手の提案を吊定するこずが怖かったのです。そんな私を受け入れおくれたクラスメヌトず先生の懐の深さには、今ずなっおは本圓にありがたかったなず思っおいたす。

ケンブリッゞでの幎は、アップダりンの連続で過ぎおいきたした。そしお、幎目の私が次に遞んだ堎所こそロンドンだったのです。ロンドンで私が䜕を勉匷したのか、ケンブリッゞの幎で䜕を孊ぶこずができたのか、その話はたた次回。

぀づく

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