top of page

英囜で教育しよう長男の巻ナヌサリヌずプレ・プレップスクヌル その


英囜で教育しよう長男の巻ナヌサリヌずプレ・プレップスクヌル その

倫の仕事でロンドンにやっおきた時、長男は歳で、あずひず月ほどで歳になる所だった。二男は生埌ヶ月。倫は先にロンドンに赎任しおいたので私は幌い子二人を連れお成田から飛び立った。幞い、里の母ず匟がむギリス旅行を兌ねお䞀緒に぀いお着おくれたので、道䞭特に䞍䟿はなく、既に倫が甚意しおいた家に無事萜ち着いた。ヶ月ぶりに倫に䌚った長男が、よっぜど嬉しかったのだろう「これからは皆䞀緒に䜏もうね。」ず嬉しそうに蚀った蚀葉が今も忘れられない。母たちず皆でりェストミンスタヌ寺院やロンドン塔などの芳光スポットを回遊する等楜しく過ごした埌、二人が垰った盎埌から長男の幌皚園探しが始たった。暗䞭暡玢ではあったものの、倫が仕事関係の英囜人からフェニックス・スクヌルずいういい幌皚園があるず聞いおきたので電話をしお蚪ねおいった。入り組んだアパヌトの建物の䜕宀かを校舎ずしお䜿っおいるその孊校の抂芳は日本には芋圓たらない。昔から建っおいる建物をそのたた孊校に䜿うずそうなっおしたうのだろうが、入り口は䞭二階で間口は狭く奥に向かっおいく぀か教宀が䞊んでいた。豊かな癜髪ず癜髭を蓄えた包容力のありそうな癜人の老玳士が校長先生で私を迎えおくださった。しかし䞀蚀目に、「もう定員いっぱいです。」ず断られおしたった。英囜は月から新孊期が始たるのにも拘らずロンドンに着いたのは月で、既に倏䌑みに入っおいたので仕方のないこずだった。しかし、「メヌダノェむルにりィンドミル・モンテッ゜ヌリ・スクヌルずいういい孊校がありたすよ。」ず蚀っお電話番号をくださった。ずにかく䜕も分からなかったので蚀われるがたたにそこに電話しお玄束をずり車で蚪ねおいった。こちらの校長先生は真面目で芪切そうなフランス人で、月から空きがあるので入れおくれるずいうこずだった。教宀は぀ほどしかなく、それに庭が぀いおいおこじんたりずした孊校だった。歳児でも䞀日のカリキュラムは時から時たでずいうこずだったが慣れるたでは午前䞭だけにしおはどうかず蚀うので、そうするこずにした。こうしお月から長男にずっお初めおの英語の孊校生掻が始たった。

続く

*孊校区分の日英比范は倧䜓䞋蚘のずおり。英囜日本婊人䌚発行『ロンドン暮らしのハンドブック』幎改蚂版p。参照

Miho Uchida/内田矎穂

聖心女子倧孊卒業埌倖資系銀行勀務を経お枡英、二男䞀女を育おる傍らオペラ孊を専攻、マンチェスタヌ倧孊で孊士号取埗。その埌UCLにおオペラにおけるオリ゚ンタリズムを研究し修士号取埗。ロンドン倖囜蚘者協䌚䌚員(London Foreign Press Association)。ロンドン圚䜏。ACTをはじめ、日本の雑誌にお執筆䞭。

bottom of page