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世界で活躍、自分の夢を掴んだ男とは:ニューヨークBiz、CEO高橋克明氏 - 1


マンハッタンを背景に佇む高橋克明氏(C)写真:ニューヨークBIZ提供

自らが証明 - アメリカン・ドリームは存在する

北米最古の週刊邦人紙「ニューヨークBiz」のCEO兼発行人であり、これまでにトム・クルーズ、デイビッド・ベッカム、北野武、樹木希林など1,100人以上の世界の著名人を取材、インタビュアーとして活躍されている、高橋克明氏にお話を伺った。

また、高橋氏は日本国内で講演会も行なっており、毎回チケットは完売。2018年11月11日は渡米記念18年目を迎え、ロスと東京にもオフィスをオープンし、そして2019年11月11日には書籍も全国の書店にて販売予定である。(現在アマゾン先行予約受付中:https://www.amazon.co.jp/dp/4893089242

益々今後の活躍が期待できる海外在住、日本人実業家の一人であろう。

J:簡単な自己紹介からお願いします。

T:高橋克明です。ニューヨーク在住、19年目になります。現在「ニューヨークBiz」という日系の新聞発行事業と総合メディアカンパニーを経営していまして、カッコ良く言えば、日本とアメリカの架け橋的な仕事をしている感じです。例えば、日本からNYでコンサートをされたい芸能人の方や、講演会をしたい企業の会長の方を日本からお呼びし、セミナー等の開催、あるいは、企業の海外進出のお手伝いをしたりする事業を行なっています。

J:2000年、27歳の時に渡米されましたが、それ以前は日本で何をされていましたか?

T:マスコミ関係の専門学校の講師をやっていました。マスコミの論文の書き方、様々な文章を書くテクニックなどを教えていました。文章力というよりもテクニックが大事です。この専門学校は、近畿大学と提携をしてまして、専門学校から大学の3年生に編入できるプログラムがありました。基本的には2年で卒業し、そのままマスコミ関係に就職します。

実は、自伝にも結構詳しく書いているんですが、全くのど素人なんです。全く(マスコミの)経験がないんです。(苦笑)

当時、90年代の専門学校というのは、とにかく生徒さえ呼べれば良かったんです。「カリスマ」という言葉が流行った時期でもあり、「偽物」の先生でも、生徒から人気があれば、どんどん給料が上がりました。講義の前日に大阪の書店でマスコミ業界の本を読み、その次の日にそれをしゃべるという感じです。(笑)そう、「偽物」だったんですよ。でも生徒はどんどん増えていきました。

J:(妙に感心しながら)笑

T:同僚に関西テレビを引退した本物のテレビプロデューサーのおじいちゃんがいましたが、正直、話がつまらなかったですね。一方、僕は140%の出席日数で、でも段々、自分なりにこれはおかしいと感じ始めてました。丁度その頃、ミレニアムになるタイミングというのもあり、子供の頃の夢を実現すべく、当時結婚していましたが、離婚し渡米する事を決めました。

J:自分の夢を追うために離婚したという事ですか?

T:学生結婚だったというのもあったと思います。どうしても子供の頃の夢を追いかけたくなりました。当時ビザとパスポートの違いもわからなかったんですが。海外旅行もそれまでしたことがなく、飛行機にも乗ったことがありませんでした。今どき、小学生でも飛行機に乗ったことのある子はいるだろうし、中学校の修学旅行でシンガポールとか行くじゃないですか。

J:その学校にもよるとは思いますが、そうかもしれないですね。

T:我が家は貧しかったので、国内線にも乗った経験がなく、初の飛行機が初渡米でした。

J:初渡米の時は3ヶ月の観光ビザで入国したんですか?

T:当然ビザとパスポートの違いも分かっていなかったので、知人からどうやら3ヶ月で日本に戻らなくちゃいけないと言われたんです。えっ?!なんで?となり、一応、友人のアドバイスで語学学校生としてF1(学生ビザ)とI -20(学校側が発行する在籍証明書)をゲットして入国しました。別に語学学校に通うためではなく、マスコミ、自分の新聞社を立ち上げに来ましたが、全くそれが分かっていませんでしたね。小学校、12歳の時に、七夕に願い事を書く時間があり、それに「将来の夢:ニューヨークでジャーナリスト」って、書いてたんですよね。

J:その時にすでに自分の夢があったんですね(笑)

T;ちゃんとその証拠写真もあるんですよ。その時は、ニューヨークがアメリカのどこにあるか、ジャーナリストがどんな仕事なのかも分かってなかったですけど、とりあえず、書くのが仕事で、ニューヨークは世界の中心と言われていたので、男に生まれてきたからには、行かなきゃ!くらいの程度で書いていたんですよ(笑)

J:ビザとパスポートの違いを知らなかったということですが、学生ビザを取得する時に財政証明書などの手続きなどは大丈夫だったんですか?

T:はい。大丈夫でした。でも離婚する前に財政証明書を発行してもらい、そのまま(慰謝料として)嫁に渡したので、当時、無一文でした。(苦笑)

J:それは、大変お疲れ様でした…

T:とにかく、離婚してまでも憧れのニューヨークに行きたかったので、計画など全くなく、まず、飛び出さないことには、何も始まらないと思っていました。

J:渡米が人生最大の転換期だったんですね。

T:そうですね~、ニューヨークに来る前と後では人生が180度変わりましたね。

J:性格も変わったと思いますか?

T:(笑)性格だけは変わっていないです。今は講演会の出演やら、本の出版のお話やら、周りの方にすごい、すごいって言われるんですが、僕自身、本当に何もない時から変わっていないんですよ。本質は変わらなくても、結局人間は「行動がすべて」なんじゃないかと。

J:人生観とかが、逆に変わったりしませんか?

T:それは(渡米した時よりも)子供ができた時の方がずっと大きかったです。元々子供の頃から来たかった街なので、ここにいる事が自然で、自分らしくいられるかなっという感覚ですね。

J:(同じ長期海外在住者として)同感です(笑)日本よりも自然体で入られますよね。

T:分かるでしょ?!(大笑)

J:なっ、なんで指、さして笑うんですか?!

T:分かる!分かる!あなたもそうだと思います(笑)

過去の高橋克明氏の講演(C)写真:ニューヨークBIZ提供

J:2013年、他の邦人媒体で社長を務め、それから現在の媒体を買収した経緯は?

T:以前の会社では本当によくして頂きました。その媒体はスポーツ新聞だったのですが、スポーツだけでなく、もっとビジネスに力を入れたり、やはり単純に自分の媒体を持ちたいと思いました。

J:では、ジャーナリストになるという夢よりも起業家としてビジネスを成功させたいという風に変わったという事ですか?

T:もちろん、子供の頃のジャーナリストになる夢はありましたが、ジャーナリストがものを書くという事以外は分からなかったので、それよりも規模は小さくても新聞社を立ち上げる方がずっと楽しいなっと思い始めたんですね。当然、野球のメジャーリーガーの取材に行けば、野球ライターがいる、国連の取材に行けば、経済紙のライターがいる。彼らはもちろんスペシャリストですごいですが、(ジャーナリズムの)社会がとても狭いっという事を彼ら自身も言っています。

ですから、僕の中でいうならば、彼らよりも専門知識は浅いかもしれないけれど、新聞社を立ち上げれば、それこそ、メジャーリーガー、政治家、社会的イベントなど、アイドルから有識者まで取材でインタビューできる。そういった意味では、新聞社を経営する方が面白いと思うんですよね。それこそ、全米ビッグ5に入る、会計事務所の先生と英語でビジネスミーティングをした帰りに、焼き鳥屋の大将とメニューを決めるみたいな。

世界中のあらゆる人、しかもニューヨークなので、世界中の人種、世界中の職業の人と話ができる。それこそ、今回、イギリスで戦っている同世代、同業者のチカコさんとお会いできたのもこの仕事をしているからだと思います。人と会うのがこの仕事のメインというか、毎日いろいろな方に会えるのは素晴らしいです。

J:そうですね。私自身ももしこのお仕事をしていなかったら、こうして高橋さんにNYでお会いすることは考えていなかったでしょうね。この仕事の魅力はなんだと思いますか?

T:日本では会えない著名人でもニューヨークでは会えることです。僕たちは、彼らの行うイベントのプロモーションをNYの日本人に対して行なっています。これが日本だと、僕なんかのためにきっと時間は取ってくれないでしょうね(苦笑)

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