ヴァッシュ・バロック・フェスティバル:『ディドとエネアス』

文/写真:内田美穂


ヴァッシュの屋敷 ©J News UK

ヴァッシュ・バロック・フェスティバル:『ディドとエネアス』

The Vache Baroque Festival: Dido and Aeneas

ロンドンから車で北西に向かい小一時間ほど走ったチルターン・ヒルのほとりに位置するマナーハウス、ヴァッシュ。晴天に恵まれた初秋の日に敷地内で上演されたアウトドア・オペラ、ヘンリー・パーセルの『ディドとエネアス』を観に行った。このオペラはイギリスを代表するバロック作曲家、パーセルの唯一の正式なオペラで、イギリス・バロック・オペラの先駆的な存在である。


4時に会場がオープンし、それぞれのピクニックテーブルを持って陣取った後はシャンペンで乾杯し、7時15分に『ディドとエネアス』のオペラが始まるまで、敷地内を散策したり、ピクニック・ディナーを楽しめる。また途中オペラの余興として歌手達がパーセルの歌を披露したり、テオルボやバス・バイオリンなどの古楽器を取り入れた弦楽5重奏によるバロック音楽の演奏など観客が愉快な半日を過ごせるよう工夫されていた。


ヴァッシュの広大な敷地には、入れ替わるオーナーたちを見守ってきたであろう高木の数々が天に向かって生い茂る。その歴史は16世紀にさかのぼり、当初は代々貴族フリートウッド家の所有地だった。その後17世紀にはまだヨーク公だったイギリス国王・ジェームズ2世の所領だったこともある。茫洋と広がる草原を歩いていけば海洋探検家として名高いイギリスの海軍士官キャプテン・クックを追悼した記念碑が佇んでいる。18世紀当時のヴァッシュのオーナー、パリサー海軍大佐がクック氏を偲んで建立したものだという。頬にあたる秋のそよ風が心地よく見渡す限りの緑に包まれて心豊かな気分に浸れた。今年初めて開催されたヴァッシュ・オペラ・フェスティバルだが、既存のカントリー・ハウス・オペラ・フェスティバルに引けを取らない環境だ。


さて、『ディドとエネアス』だが、マナーハウスの目の前に設置された簡易ステージで上演された。屋敷の頂上からステージに向かって流してある飾り付けの金色のテープは簡単だが舞台を引き立たせ、色合いも良く好感が持てた。トーマス・ガスリーによるプロダクションはステージと同様、シンプルだが気が利いていた。しゃれたコンテンポラリーのカジュアルな衣装はルース・ペイトンによるデザインで登場人物たちはエリザベス1世の肖像画に出てくるような17世紀初頭に流行った車輪を首に巻いたかのような襟を着用していた。色合いは白、黒、赤といったコントラストのはっきりした無地の衣装で特にディドの真っ赤なドレスに真っ黒の革ジャンといういで立ちが粋で印象的だった。エネアスの船の水夫たちが被った真っ赤な帽子も目を引いた。


ディドを演じたケイティ・ブレイは細身できりりと締まった体に精悍な顔つきで妙に黒い革ジャンが似合っていた。そして悲劇のヒロインだがプライドのあるディドを演じ、有名な『ディドの嘆き(When I am laid in Earth)』のアリアも悲哀に満ちながらも落ち着いた感じで歌い切った。エネアスを演じたジョリオン・ロイは魔女たちに翻弄される

英雄らしくない英雄という難しい役どころ故か、ディドに比べると歌唱力も今一つで迫力にかけていた。ディドの侍女、ベリンダを演じたベティ・マカリンスキーは可憐で透き通った声が印象的でディドをしっかり見守る役どころをてきぱきと演じていた。水夫を演じたローリー・カーヴァーは、酔っぱらって快活な水夫を元気よく演じ、朗々とした歌声も見事で聴衆から拍手喝さいを受けた。そして音楽監督であるハープシコーディストのジョナサン・ダーボーンに導かれた弦楽器奏者たちが奏でるカウンターポイントのバロック音楽はイギリスの秋の日暮れの切なさにぴったりで琴線に触れた。


特筆すべきは中間劇として登場した2人のダンサー、ローラ・ブレイドとアジャーニ・ジョンソン‐ゴフによるダンスである。ヒップ・ホップやクラシック・バレエなど分野と時代を超えた踊りの数々を取り入れた彼らのダンスは繊細かつ大胆。ぶれない動きは刺激的で鳥肌が立つほどだった。振付師のユークウェリ・ローチは、マライア・キャリーのヴィデオの振り付けを担当したり、実際にマライアやカイリ・ミノーグたちと共に踊った経験もある人物で、観ていてワクワクするエンターテイメント性に富んだ踊りの原因はここにあったかと妙に納得してしまった。


今年の夏、初めて開催されたヴァッシュ・フェスティバルだが、クリエイティブ・チームが若いせいか観客に若者が多く若い息吹を肌で感じ新鮮でとても嬉しかった。オペラ観客の若返りのためにもぜひ来年も続けて欲しいと思っていたらウェブサイト(https://vachebaroquefestival.com/) に「2021年のシーズンも乞うご期待!」と書いてあった。来年もぜひ行きたい。

余興の弦楽5重奏 ©J News UK

広大な敷地の向こうに屋敷が小さく見える ©J News UK

トーマス・クックの記念碑 ©J News UK

屋敷の前に設置されたオペラのための簡易ステージ ©J News UK


幕後にあいさつするキャストの面々 ©J News UK

Miho Uchida/内田美穂

聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。https://www.mihouchida.com/

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