英国で教育しよう!長男の巻:パブリックスクール その1

06.06.2019

 

 

 

 

長男の巻:パブリックスクール その1

 

長男は、セントポールが要求してきたコモンエントランスの試験の点数を各教科余裕で取って合格した。セントポールからは「大成功を収めて(with flying colours)合格しました。おめでとう。」という手紙が来た。そして晴れて寮に一人で入ることになった。布団や、枕カバー、バスタオルなどに名前を縫い付けて私は彼を送りに行き、あとは寮長に任せて下の二人の子供たちを連れて帰国した。前述の通り、週末は寮を出なければならなず、基本的にはガーディアンになってくれた弟の家に行くことになっていた。しかし、毎週お世話になるのも申し訳ないという気持ちもあったし、ノースブリッジハウスの友達の家庭がみなとても親切で、週末に泊まりに来ても構わないと申し出てくれたので、週末いろいろな家庭に泊まることになった。私は各家庭とアレンジして3か月分、週末に長男がどこに泊まるかを寮長に提出し、長男は寮生活を始めた。がやはり週末は毎週決まった家に帰るのが望ましく、このようなアレンジは無理であることが分かってきた。結局、長男が週末帰るのに居心地のいい家庭がはっきりしてきたので、そのお宅にお世話になることが多くなった。日本サイドでは引っ越しの上に次男の小学校編入の手続きをしたり、長女の幼稚園の編入の手続きをしたり、自分も子供たちも生活に慣れなくてはならなかったので、今まで習っていたテニスのコーチに送り迎えできなくなったり、土曜日の日本人の補習校に通えなくなって長男のことが不憫には思ったものの寮長と長男本人にすべてを任せて日本での生活を忙しくしていた。

 

セントポールは96パーセント以上の子供たちが通いの子たちである。しかも最高に教育熱心な親御に育てられた賢いエリートばかりが通う学校なので長男が一人で寂しい思いをしながら孤軍奮闘するのは可哀そうに思えた。寮での環境に慣れ一人でしっかり勉強するかどうかも心配だった。案の定、一人で残った長男はノースブリッジではとても成績が優秀だったのにも拘わらずみるみる成績が下がっていった。成績表には各教科の教師からも寮長からも「自分の持つポテンシャルを生かしていません。」と書いてあった。両親の代わりにペアレンツイブニングに行ってくれた弟が、「ちょっとやばいよ。」と連絡してくれた。一人でいたから寂しかったのか、存在を認めて欲しかったのか、授業中や朝礼の間に騒ぐ等素行も悪くなり、そういった些細な事で書かされた始末書は(後になって見る機会があったのだが)溜まりにたまって厚さは2センチほどの紙束になった。心の中では私は居ても立っても居られなかったが、どうすることもできなかった。些細な始末書に関しては、寮長は私に連絡してこなかったが、停学処分になるような所業に対してはe-mailで連絡してきた。停学処分になった所業とは、一回目は、吹き抜けになっている学校内の二階から階下のアートの作品めがけて飛び降り、その作品を壊したこと。のちに、彼が飛び降りたところを見たらあまりに高くて腰が抜けそうになった。二回目は寮でコンピューターから友人たちと一緒にポルノサイトに入って見つかったこと。寮長はそのたびに「内田君とは話しました。このことは水に流して新たに前進しましょう」と書いてきた。私はそれをその言葉通りにとったが、のちにそれは言葉通りにとってはならないということに気がついた。

 

 

←前の記事 | 次の記事→

 

 

 

*学校区分の日英比較は大体下記のとおり。(英国日本婦人会発行『ロンドン暮らしのハンドブック』2017年5-8改訂版p。35参照)

 

 

 

Miho Uchida/内田美穂

聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

Copyright © 2017 J News UK 2017